アジア発祥、世界最古の染料とも言われる天然のインディゴ・ブルー。アパレル・ブランドが農業というレベルから創りあげる沖縄の色「琉球藍」は日本を代表する染料のひとつ。今回は、素材・デザインと色の開発にまで深化しているリゾート・アパレル・ブランド「LEQUIO」とデニムブランド「AineRy」を展開する 嘉数義成 さんにお話を伺ってみました。

撮影場所:MB GALLERY BY THE TERRACE HOTELS, SEAFOOD HOUSE PIER 54
[ 編)編集部 / か)嘉数 義成 さん]

編)どうもおはようございます!今日はよろしくお願い致します。

か)おはようございます。よろしくお願い致します。

編)今日は天気が最高なので、太陽と自然の風が気持ちいい場所を選ばせていただきました。
アートと自然があって、海辺のリゾートタウンに位置していますので、今回のインタビューのテーマにもマッチするかなと思いまして、、、

か)なるほどここに中庭があって、自然の光も入ってきて、生の植物もいい感じですね~!

編)ここはそうですね、今日みたいな天気のいい日のこの時間帯は特に気持ちいいですよね。早速ですが、多岐にわたるお話になるかと思いますが、専門的なお話でもぜひお聞かせ下さい。

か)了解しました。何からお話しましょうか

編)嘉数さんの活動のなかで、アパレル・ブランドのLEQUIOやAineRyと、またひとつ別次元とも思える展開にも興味ありまして。。。時間軸で順番に伺っていきますが、ブランド立ち上げの頃の話と、ここ数年前に始められた「琉球藍」という色の染料作りについてお願いできましょうか。

か)そうですね、アパレルブランドLEQUIOとしてはもう10年以上になりますが、琉球藍の色づくりについては、2016年、2017年あたりからになりますので、もう5年近いでしょうか。そうなんですよ、最近は色も作っているんですよ。それで、今まさに生産の真っ最中で、素手で作業するもんですから、指先とか爪の中まで藍色に染まっております。これがAineRyの染料として使われ、製品になるので、皆さんの手に届けられて使っていただけるのが楽しみです。

編)染料というものについて私たちも読者の皆様も、専門の方は少ないはずで、あまり聞いたことがないと思いますので、新しい知識やマニアックなことに好奇心旺盛な方には、きっと興味持っていただけると思いますので、楽しみです。

まずはアパレルブランドを始めるきっかけからお聞かせいただけますか?学生時代に何かその分野を専攻されていたとか?

か)そうですね、沖縄にも服飾関係の専門学校がちょうど出来てからまだ2年目くらいの頃だったのですが、高校卒業を間近に控えていたそのころに、もうすぐで4月になるというのに、この春から何をするか決まっておらず、それでも自然と好きなことができる道の方に導かれまして。。。 編)学生時代からだったんですね。 か)そうですね。師事していた先生の旦那さんですが、フランス人の方が洋服を作っていらっしゃいまして、アパレルが好きだったので、興味から一緒に作品を創作して韓国の美術館にも出展するなどクリエイターとしての活動はそこからですね。

それと、自分が着たい服が街では見つからず、自分で創るしかなかった、という理由もありまして、、、そのころ、日本人規格の既製品の服では大柄の自分に合うものがぜんぜんなかったんですよ。その昔(20年ほど前)は、今ほどインターネットが普及していませんでしたから、もし存在していたとしても、どこで売ってるのか情報もぜんぜんなかったですよね。古着屋さんとか、沖縄によくある軍払い下げ品を扱っているお店などを巡って、足で見つけていく感じは面白かったですが。

編)無いなら創る、という発想は、まさに起業家のお手本ですよね。
着る服を創って流通させて、、、の裏側には仕入れ、製造からブランディング、販路開拓、市場投入のタイミングだったり。。。なかなかそんな簡単ではなかったと思いますが。

ちなみに、アパレル以外には、他に考えたことはありましたか?

か)他ですか、、、あえて言うならば、美容師になることも興味はありましたね。

編)それでもやっぱり、アート、ファッション系なんですね。
沖縄にはクリエイティビティ豊かなアーティストも多くいらっしゃいますが、創作活動に環境が向いているのかもしれませんね。

か)そうですね、気が付いたら、ずっと沖縄でやっていましたね。アパレル・ブランド「LEQUIO」と「AineRy」の展開が県外にも広がっていくようになってからは、いろんなところに出かける機会も増えましたが。

編)ブランド立ち上げの瞬間って、どのようにして立ち上げたのですか? か)最初はアトリエで3年くらい修行させてもらってからの独立でした。。。沖縄でしかできないことをやっていたいなと思い、LEQUIO(レキオ=琉球の人の意)という名前をブランド名にしました。 編)でもアパレルブランドって、いろんなリソースを組み合わせていかないと広められないでしょうから、かなり経営面でも苦労されてきたことでしょう。。。

か)たしかにそっち方面は大変じゃないことはありえないですよね。まぁでも、デザインのアイデアを考えて、パターン切って、材料発注したり、縫製したりと部分部分でいろんな方々のお世話になったり、、、製作全般についてはクリエイターとして一人ででも好きでやっていられますが、アパレル事業としてまともに成立させるとなると、ある程度の流通規模で動かしていかないと成り立ちませんので、経営やマーケティングなど最初はわからないことだらけで、大変でしたね。。。今はちゃんと法人化できて体制もありますので、創作に集中できていますが。

編)どのあたりが特に大変でしたか?

か)例えば、工場にお願いする場合は、ちょっとだけ数枚だけ作ってくださいというわけにはいきませんよね、、、製造ラインを動かすということでは相手も経営者なので、リソースの確保が必要ですから半年先までは継続的にその工場の仕事として約束していかないと動いてもらえないですし。また、沖縄のアパレル工場といえば、かりゆしウェアを専門的に縫っているわけですから、自分の新しい商品を手伝ってもらえるほどの暇はなかったわけです。 そして、自分が求めているクオリティ・スタンダードに合わせてもらうためにも、コミュニケーションでもなかなか苦労しました。とにかくひとつひとつ説得しながら、協力いただきながら、突き進んでいくしかなかったですね。

編)アイデアの発想から、ビジネスとして成立する規模で回すまでに、いろいろ動かれたのですね

か)工場での製造ラインに素材の生地を預けるにも、生地を販売されている事業者さんは沖縄にはほぼなかったですからね。。。
ブランド商品展開するために必要な同じ素材を必要数大量に仕入れる必要がある時に、小売り業としての街中の生地屋さんの店頭在庫では必要数を満たせない。だからといって、内地にある生地問屋さんも、実績のない口座では売掛で取引させてもらえないので、どうしてもまずは現金先払いで大量ロットでも言われるままになんとか仕入れる他に道はなく、送料もかなりかかりましたね。

編)取引相手からしても、未来が見えてない限りは、知らない人の小さな取引の優先度は高くできないということも理解できますからね。。。

か)最初は仕入れ先からの信用が無いのが当たり前ですが、1反2反の単位では取引していただけず、10反からの単位で思い切って仕入れてしまうほかなく、バランス感覚としては、走りながら、仕入れながらその後にマーケティングを追いつかせていく、みたいな感じでしたね。
そうやって工場製造ライン手配と素材発注という生産計画が進み始めるのと並行して、すごい在庫量になることが確定してきたので次に、LEQUIOを扱っていてほしいイメージに合う販売先としてホテルや百貨店などの販路開拓を必至になってがんばるしかなくなったわけです。笑

順風満帆なことはひとつもなく、ただ不確定な未来を創る段階においては、想定外や見当違い、どたばた等は基本で、それでもその混沌の中を走り抜けていくために必要だったのはむしろ覚悟と勇気だったかも?と思うくらいです。 編)いい言葉いただきました! とはいいつつ、営業も得意そうな気がしますが、、、 か)ぜんぜん営業系の素養は持ち合わせている方ではなかったですが、回数を重ねて足繁く通ったり、ちょくちょく顔を出させていただきながら協力会社さんや関係者の方々と話し込んでいくという感じでしたよ。とにかく細かく丁寧に説明するために何度も足を運びました。

ホテルには観光客の方々が宿泊されていますが、ショップと言ってもホテルに到着してからプールやビーチで遊ぶためのビキニやサングラス、ビーチボールなどを買うくらいですよね。そんな旅先のリゾートで服を販売する、服を買うという概念がないのがスタートポイントで、販売いただくショップ側の方々も、ホテル内では毎日のように職場の配置が点々と変わるのが当たり前のため、一般的なアパレルショップの店員さんと同じレベルまでとはいかないまでも、服の理解をしていただくための時間も相当かかりました。

そうやってホテル内ショップと取引が決まるまで苦労をしていたころ、やっと最初の取り扱いホテルとして、ザ・ブセナテラスさんでの販売が決まったときは嬉しかったですね。 編)それだけ苦労したら、嬉しいですよねぇ! 今となっては、かなり多くのホテル・百貨店などで取り扱われていますよね??販路としてもやりきった感じでしょうか? 仕入れ・製造・流通とが回り始め、より深い商品開発としての染料開発にも進んでいった、と。。。

か)そうなんですけど、これまた一筋縄ではなくて、染料そもそもの特徴に関することですが、たとえばデニムを白いTシャツと一緒に洗濯機で洗ってしまったことありませんか?どの家庭でも経験あるかと思いますが、デニムから青い色が抜けて、白いTシャツに移って水色になってしまう、というのは想像できますよね?それと何ら変わらないことなのですが、琉球藍で染めた商品が購入された後にも、使用時に関しての様々なご意見をいただき、いろいろ勉強させていただくことはありました。

色移りや退色というような色に関する問題を製品開発として解決していくベクトルと、染物についての理解度を深めるコミュニケーションが必要であることにも気が付かせてもらいました。

編)染料の生産は、実際には一体どのように生産されているのですか?

か)少し専門用語も混じりはじめますが、よろしいでしょうか?笑 そもそも、琉球藍の市場全体での生産量は少なかったので、琉球藍を使った染物の服を作ろうと思ったら、まずは染料の発注から待つこと半年後にしかできあがってこないため、うちのブランドでその色をシーズンに合わせて使いたくてもそれだと時期を逃してしまったり、または製造している人も少なく、ご年配の方ばかりなので年々生産量は減っていく一方だったんです。 ファッション・ブランドとしては、ある程度の量を確保しなくてはいけない立場だったので、色まで自分で作るしかない状態となり、自社生産をはじめましたが、これまたゼロからで、実家が農家だったわけでもないですから、まずは畑を貸してくれる人探しからでした。農業、農家としての生産実績もないので、畑を持っている人も話も取り合ってくれないし、自家栽培で小さな庭で育てたときの写真を見せたところで説得力にならないしで、、、

編)そうですよね、、、信用ってビジネスにとって一番重要なことで、実績なしでその最初の信用を築くことって一番難関、、、お察しします。

か)染料とは植物を植え育てるところから、刈り取り、発酵させて、、、やっていることはまさに農業なんですよ。そもそも、その農業にちょっとした問題がありまして、、、

編)どんな問題だったのですか?

か)それが、染料の植物を育てるための農法も昔の資料しかなく、しかもアバウトな内容しかなく。さらに、染料化するまでの工程においても科学的根拠が存在していませんでした。そんな状態では安定的に色づくりなどやっていけないと思い、琉球大学さんと一緒に研究を始めたんです。 染料を創るためには、植物をまずは発酵させる技術が必要で、お酒の製造と同じように、まずは糖分としては糖蜜や泡盛をまぜたり、そこにイースト菌を入れて攪拌して発酵させる。一応、食品と同じようなものなので、味で感じることで発酵具合を確かめたり、、、というのを数値化する必要がありました。ペーハー(PH)といってアルカリ性、酸性の状態を数値で管理していくところからでした。

編)すごいですね!!味で色がどうなるか、わかる。ということですか??
 面白い概念ですね。。。味と色が頭の中でつながっているなんて!

か)美味しくはないですが、わかりますよ。欲しい色になるまでもうちょっとだな?とか。笑
それを数値化したかったんです。実際に起こっていることは酸化還元反応なのですが、その還元菌としてはなにが有用かを研究したり。

今やってることは、微生物学と農学ですね。笑
植物の生態もきちんとわかっていなかったですし。ファッションのためのサイエンスというのでしょうか。

植物を収穫するまでと、収穫してから色にするまでの製造方法についてもちゃんとしたマニュアルすらなかったんですよ。琉球藍については戦前の資料ばかりで、あるもの全部あさってみたのですが、伝統工芸はまさに人から人への伝承ということで、現場で長く働いて下積みしながらなんとなく見て盗めじゃないですが、、、これでは大変だ、と。そこに科学が必要なので学者さんに絡んでいただいたわけです。

編)藍色の染料って、他ではどういうところで作っているんですか?

か)メジャーな生産地のものですと、インド藍や日本の主要生産地である徳島の蓼藍(たであい)、それと私の生産している沖縄の琉球藍、あとは寒冷地アイヌ、蝦夷で作られている大青(たいせい)くらいですかね。。。

編)ほとんどアジアという感じですか?それを聞くとむしろ、日本の色かな?という印象もうけますね。

か)藍色というのはそもそも、紀元前3000年頃のインダス文明やピラミッド時代のエジプトの遺跡からも発見されている世界最古の染料なんですよ。染料ができた当初は化学的な染料はなく、藍色は植物由来の色として世界各地で使われてきました。日本では、奈良時代の冠位十二階でソーシャルクラス毎の着物の色がきめられている中で、藍色は高貴な色として上層貴族階級の人たちが着る服の色でしたし、黒船ペリー来航の頃にはかなりいろいろな布製品に使われて一般普及しており、町中そこかしこで藍色を着ている人だらけだったため、日本は藍の国だと言われたりもしたくらいですからね。

編)藍色を見ると、なんだか不思議と馴染みがある感覚になると思いますが、大昔からずっと日本人や人類が親しんできた色だからなのかもしれませんね

か)藍は農法・生産工程にコストと時間がかかるもので、種まきから収穫に3か月、刈り取った藍を乾燥して発酵させる「すくも」づくりで+3か月、つまり半年がかりでやっと染料として染物加工に使えるようになるので、時代が進んでより簡単で安価に作れる工業的な化合物の染料が普及しはじめてからは、藍の生産は減少していき、今では天然染料としての希少価値も上がってきています。

昔は藍の作付面積が1.5万ヘクタール程あったのですが、戦後には20ヘクタール程にまで生産量が激減し、最近ではもっと減少しています。
日本国内の作付け面積としては徳島県が最も広く、沖縄県は作付面積は広くないにも関わらず単位面積あたり収穫量では全国1位です。

編)沖縄も日本を代表する藍の産地なんですね!

か)そうなんですが、「琉球藍」という知名度はまだまだ低いかもしれないですね。 藍染め関係のことで全国でいろいろな方々と直接関わる中で知ったのですが、日本で長年やられている70代の染色家の方でも琉球藍というものを知らなかったこともあります。それでいろんなご縁で交流するなかで、最近では日本最大の藍の産地である徳島にも足を運ばせていただくようになり、各地でも琉球藍の認知を広げています。 編)使っている製品が増えてくると、自然とそこも解決してくるかもしれないですよね。

編)先ほど、味で確認したり、、、ということを伺いましたが、染料には保存期限とか賞味期限のようなものがあったりするんですか?

か)そうですね、これまでは新鮮さを保つ必要があったのですが、つまりそれは水をたくさん使うからバクテリアが繁殖するということに起因しているのですが、最近の研究と技術開発でやっと半永久的に保存できるようになってきています。泥藍というもので、水分を飛ばして塊とか粉上にすることで保存がきくようになり、繊維がある布製品を染めるための染料としてだけでなく、塗装のように着色をするための顔料としても使えるようになったことで、これからは金属類などの工業製品でも藍色が使われたものが出てくるでしょうね。

これまた専門用語になりますが、アルマイト加工(陽極酸化被膜)という方法では、アルミ等金属の表面に多孔質の被膜(微細な穴がたくさんある状態)を作り、その隙間に染料を浸透させていく、いわば金属を藍色で染めるようなことも可能です。

編)すごいですね。。。藍色と科学の話が一緒のテーブルに乗るなんて。
また化学や科学の専門的な話をお聞きして、本当に深いところまで深化させられていることが伝わりました。

少し視点も変えまして、そのような技術開発をした製品を市場展開された際に、購買されているお客様からは、どのように評価いただけていると認識されていますか?

か)まずは素材と品質ですね。沖縄はリゾートとはいえ、わりと熱帯地方であり、温度も湿気もあるので着心地は大事ですよね。何度も沖縄旅行されている方であれば、都心にいるうちからでも、この素材感と着心地が沖縄のこの気候に適していて良い。ということが理解できますが、これから渡航されてくる方にはその想定は難しいですかね。。。できれば、都心にいるうちから準備としてLEQUIOの素材感を知っていただいて、1着でも準備しておいてもらえたら、もっと沖縄滞在を快適に楽しんでいただけると思います。AineRyでは普段使いできるデニムのパンツやジャケット、パソコンを入れて持ち歩けるクラッチバッグやトートバッグなども人気ですね。

沖縄だけでなくとも、11月12月になると日本からハワイなどへ行かれる際にも着衣を準備しているときに、到着した先では暑くて湿度もあるから、そこにあった服を持っていくという発想で、「リゾート地にいくなら、LEQUIO」ということで覚えていただけると嬉しいです。笑 熱帯常夏のイメージを沖縄に対して持たれている方もいるかもしれないですが、実は夏の気温は沖縄よりもビル群で熱がこもってしまうコンクリートジャングルの都心での方が高くなる、という事実もありますよね。沖縄で32度の日に、東京では38度みたいな感じで。 これから沖縄でだけでなく、都心部でも気持ちよく選択いただける製品として、最高な着心地を届けたいですね。

編)東京ではなにか取り組みとかされていますか?

か)たまにですが、新宿など都心の百貨店などで販売会を。あとはネット通販も好調です。

編)どのような年齢層のお客様が多くいらっしゃいますか?

か)LEQUIOではだいたい40~70代が多く、AineRyでは年齢を問わず手に取っていただいてますが、ファストファッションのようにチープで流行にだけ乗せてしまうような商品づくりをしていませんので、品質に対して理解ある客層の方々から支持いただいております。

編)また今後これからのチャレンジとして、考えていることを教えて下さい。

か)チャレンジですか、、、常にチャレンジですが、そうですねぇ、もっと琉球藍、そして沖縄のことを知ってもらうための活動でしょうか。
それと、生産については計画して行う必要があるなかでも、10%は市場に対しての新提案として、予定調和やすでに存在しているものを当たり前に狙ってやるだけでなく新しい切り口を提案していきたいですよね。

そういうことって、つまり前例がないことですから、新しいマーケットを作る必要あります。存在するマーケットに向かって、存在する商品の中から何を売るのかということでなく、新しいマーケットを作っていくわけですから、新しい商品を開発していくわけで。それは、作ってみるまでは存在せず、提案するための対象物も作らないと見せられるものがないわけですから、まずは創ってみて提案するしかない。やるしかない。というところですかね。。。

編)楽しい深いを話をたくさんありがとうございます!これからも沖縄から日本を、世界を藍色で染めていく展開、ご活躍を楽しみにしております。

か)こちらこそ、ありがとうございました。これまでもいろいろなインタビューを受けたことはありますが、どうしても誌面スペースの制約からか、仕方なく表面的で当たり障りのない内容になりがちですが、沖縄ロングステイさんでは深く詳細に書いてもらえるということで、本当はもっとたくさん話したいこともありますので、今後ともよろしくお願いします! AineRyも是非、皆さんに使っていただけると嬉しいです。

――― 藍色づくりは、3月に種まきをして、6月の収穫から発酵して9月以降にようやく染料として使えるようになるといいます。
創造力に富むアイデアがどんどん湧き出るなかで、事業とのバランスを取りながら新しいチャレンジを楽しみ、未来に前進する姿がありました。
彼の中ではまた新しいアイデアの種まきがもう始まっていることでしょう。